夕陽を呼びもどした長者(行方市)
むかし、諸井(現在の行方市玉造甲・諸井地区)に、たいそうなお金持ちで長者*1と呼ばれる人がおりました。
この諸井の長者は、毎年、京の帝(天皇)に「綾織*2一駄*3」を献上*4することが習わしとなっており、霜月朔日(旧十一月一日)の明け六つ(今の朝六時頃)に、織り上がった綾織を馬につけて都に向け出発することになっておりました。
「今年、帝にたてまつる綾織が、未だに織り上がりません。恐れ多いのですが、しばらくの間お戻り下さい。お願いいたします。」と扇で入日を招くと、不思議なことに沈みかけた太陽がするすると空高く昇っていったのです。
この諸井の長者は、毎年、京の帝(天皇)に「綾織*2一駄*3」を献上*4することが習わしとなっており、霜月朔日(旧十一月一日)の明け六つ(今の朝六時頃)に、織り上がった綾織を馬につけて都に向け出発することになっておりました。
織姫には毎年、村の中から気立てのよい機織り上手な娘が選ばれ、日の出から日の入りまでの間に、せっせと機を織り続けます。
帝がお使いになる献上品は、決して夜織ってはいけないことになっていたからです。
ところが、ある年のこと、どうしても最後の一反*4が日暮れまでに織り上がりそうにないのです。
織姫は、長者の前におそるおそる進み出ると、「旦那様、申し訳ありません。どうしても最後の一反が日暮れまでに仕上がりそうにありません。このままでは、旦那様にご迷惑がかかりますので、私は死んでお詫びをしようと思います。」と言って泣き崩れたのです。
すると、長者はしばらく考えた末に、「命を粗末にするでない。心配せずともよい。私がお日さまを呼びもどしてみよう。」と言うと、帝からいただいた金の扇を取り出して開き、今にも沈もうとする夕陽に向かいました。
「今年、帝にたてまつる綾織が、未だに織り上がりません。恐れ多いのですが、しばらくの間お戻り下さい。お願いいたします。」と扇で入日を招くと、不思議なことに沈みかけた太陽がするすると空高く昇っていったのです。
そのおかげで、最後の一反が無事織り上がり、翌朝、綾織一駄を京の都に向けてつけ出すことが出来たのだそうです。
諸井長者の屋敷跡は、現在、玉造小学校があるところだと言い伝えられています。
参考資料- 「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「玉造町の昔ばなし」(堤一郎著)、「玉造の民話」〈第一集〉(玉造町教育委員会)