SERIES連載記事

牛になった小僧(龍ヶ崎市)

むかし、龍ヶ崎市若柴町の金龍寺が牛久沼のほど近く(現在の牛久市城中町、その後は新地町)にあった頃のお話です。

金龍寺に、知雲(あるいは智雲)という小僧*1がおりました。知雲は体は小さいのですが、食べることだけは誰にも負けないという大食いでした。


和尚さんが「知雲や、食事というものはおまえのように欲しいだけ食べるものではないぞ。食べすぎはよくない。もう少し体のことを考えて食べなさい。」としばしば注意をするのですが、いっこうに聞き入れようとしませんでした。


それどころか、食べたいだけ食べると後かたづけもせずに、ゴロリと横になってそのまま寝てしまうのです。


あるとき、それを見た和尚さんはとうとう堪忍袋の緒が切れて*2しまいました。


「食べてすぐに寝てしまうとは何事じゃ。牛のような動物と同じではないか。そのようなことを続けていると本当に牛になってしまうぞ。」と厳しくしかりつけました。


それから何日かたったある日、朝から知雲の姿が見えないのです。


和尚さんをはじめ小僧たちが寺のあちこちを探しまわりましたが、見つかりませんでした。


しばらくして和尚さんが村に出かけると、一頭の子牛が近づいてきて、「和尚さま!知雲です。私は和尚さまの言うことを聞かなかったため、とうとう牛になってしまいました。大変お世話になりました。さようなら。」そう言うと沼に向かって走り出したのです。


驚いた和尚さんはすぐに後を追いかけ、沼に入ろうとする子牛のしっぽをつかんで必死に引き止めました。


ところが、ブツッとしっぽが切れ、子牛は沼の中に消えていってしまったのです。


それ以来、この沼は“牛を食う沼”ということから牛久沼と呼ばれるようになったのだそうです。


また、この時ちぎれたしっぽは払子*3となり、お寺で使われたということです。



*1 小僧
年少の僧。子供の僧。
*2 堪忍袋の緒が切れる
もうこれ以上こらえきれなくなることのたとえ。(堪忍袋とは、堪忍する心の大きさ・程度を袋にたとえた語。)
*3 払子
僧が説経・法事の時に使う、長い獣毛や麻などを束ねて柄をつけた法具。もともとはインドで蚊や蝿を追うのに用いた。


参考資料
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「いばらきのむかし話」(藤田稔編)
「常陽藝文」2001/12月号(財団法人常陽藝文センター)

 

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