太刀割石(日立市)

高萩市と日立市十王町の境に、標高六五八メートルの竪破山があります。
山頂には、蝦夷*1征伐の帰りみちに亡くなった黒坂命をまつる黒前神社があり、登山道途中には、不動石・烏帽子石・畳石・甲石などの巨大な奇岩*2が点在しています。
「これは神様がわれわれに味方し、戦いに勝つという前ぶれに違いない。」義家一行は、これに勇気を得て奮い立ち奥州に向かって出発したのです。
山頂には、蝦夷*1征伐の帰りみちに亡くなった黒坂命をまつる黒前神社があり、登山道途中には、不動石・烏帽子石・畳石・甲石などの巨大な奇岩*2が点在しています。
特に頂上付近にある太刀割石は、その異様な姿が目を引きます。
直径六メートルほどもある巨大な丸い石が、まるで鋭利な刃物で真っ二つにされたように、一方は断面を上にして横たわり、もう片方はそそり立っているのです。
この石には、名前にまつわる言い伝えがいくつか残されています。
竪破山が黒前山と呼ばれていた頃、奥州*3征伐に向かう八幡太郎義家(源義家)*4が、黒前山に登り戦勝祈願をしました。
この山には、そのむかし、蝦夷平定を果たした坂上田村麻呂*5が建てたお堂があり、義家は田村麻呂の戦勝にあやかろうとしたのです。
その夜、義家の夢の中に白雲に乗った神様があらわれ、「これは、どんな強いものも破り、堅いものも砕く力がある。これを携えていれば必ずや戦に勝利するであろう。」と言い、義家に刀を授けたのです。
義家が目を覚ますと、かたわらに一振りの太刀がありました。喜んだ義家は、その刀の切れ味を試そうと、近くにあった巨大な石をめがけ刀を振り下ろしました。
すると、巨石は見事真っ二つに割れ、片方は立ち、もう片方は奥州に向かってドッと倒れたのです。
「これは神様がわれわれに味方し、戦いに勝つという前ぶれに違いない。」義家一行は、これに勇気を得て奮い立ち奥州に向かって出発したのです。
それ以来、この石は太刀割石または将軍石(勝軍石)と呼ばれるようになったのだそうです。
また、竪破山の名もこれに由来し、「たちわり・たちわれ」が変化して「たつわれ」となったと言われています。
*1 蝦夷- 古代の奥羽から北海道にかけて住み、言語や風俗を異にして朝廷に服属しなかった人々。
- *2 奇岩
- 珍しい形をした大岩。
- *3 奥州
- 陸奥の国の別称。現在の青森・岩手・宮城・福島の4県と秋田の一部。
- *4 源義家
- (1039~1106年)平安後期の武将。頼義の長男。前九年の役・後三年の役を鎮め、東国に源氏勢力の基礎を築いた。
- *5 坂上田村麻呂
- (758~811年)平安初期の武将。征夷大将軍となり、蝦夷平定に功績をあげる。
参考資料- 「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「常陸の伝説」(藤田稔著)、「茨城の史跡と伝説」(茨城新聞社編)
「常陽藝文 一九八八年/十月号」(財団法人常陽藝文センター)
「ふるさとの散歩道」(茨城県商工労働部観光物産課・茨城県観光協会監修)