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天下一(常陸太田市)

 むかし、水戸藩主徳川光圀が、領内の巡視で高倉村(現在の常陸太田市)を訪れた折、名主*1の家にお泊まりになりました。

 その時、村人たちがこの地に伝わる獅子舞「ささら*2」を披露すると、光圀公はたいそう喜んで、「これは見事。天下一じゃ。」とおほめになりました。


 それ以来、村の人たちは、いつも「天下一」の幟*3を立て、江戸の街でもささらを披露して歩くようになりました。


 ところが、このことがいつしか将軍さまの耳に入り、「誰の許しを得て天下一と称しているのか。」とおとがめを受けてしまったのです。


 これを知った光圀公は、「わが領内に天下野という村があり、その天下野一とすべきところを天下一と誤ったものでございます。」と申し開きをし、事なきを得たのだそうです。当時、高倉村の一部であった村を、この時から天下野村と改めたといわれています。


 その天下野に伝わる「七不思議」をご紹介しましょう。


(一)つるし堂“枕かえ”
天下野二区根道のつるし堂という所に、奥の院と呼ばれる岩屋があります。高さ約二メートル、間口・奥行とも一メートルほどの岩穴です。
むかし、了誉上人が、南北朝の争いで亡くなった戦死者の霊を弔うため、ここに観世音菩薩を安置し、かたわらの大木に小さなお堂をつるして供養したことからこの名が付いたといわれています。
―ある時、旅の僧がこの岩屋で一夜を過ごし、朝起きてみると東枕に寝たはずが西枕になっていたのです。
不思議に思い、帰り道にも試してみると、やはり翌朝は逆向きになっていたといいます。現在、お堂はなく、岩屋の中に石仏が一体あるだけです。

(二)高陽入り
山道深く入ると瞽女*4の鼓が聞こえ、立ち止まると止むという。

(三)御所山の井戸
古井戸の底から人の声が聞こえるという。

(四)おっかな淵
猿渡ヶ沢上流の滝が落ち込む淵の水が七色に変化するという。

(五)さかさ桜
明応六年(一四九七年)、信太小太郎が小田部平における合戦で、深田に馬を乗り入れてしまいました。馬をそこから助け出すために投げた桜の枝の鞭が逆さに根付き、毎年下向きの花が咲くようになった。

(六)金砂の蛙
金砂山ではどこから連れてきた蛙も鳴かないという。

(七)金砂のモチの木
東金砂神社の社務所の庭に樹齢約五百年のモチの木があります。この木につながれた馬は、その間、糞尿をしないという。この古木は県の天然記念物に指定されています。

 

 以上、天下野の七不思議は、天保年間(1830~1844年)に鹿島の七不思議になぞらえてつくられたものといわれています。



*1 名主
(村名主)江戸時代、郡代・代官の支配を受け、または大庄屋の下で一村内の民政をつかさどった役人。
*2 ささら
茨城県では三頭の獅子舞をいう。獅子舞は普通、人間が獅子頭をかぶって舞うが、棒で操る棒ささらもある。
*3 幟(のぼり)
旗の一つ。細長い布の一端を竿の先につけて立てて標識とするもの。
*4 瞽女(ごぜ)
中世以降、鼓を持ち寺社の縁起や物語を語って歩いた盲目の女。近世には、三味線などを弾き歌を歌った。


参考資料
「水府村史」(水府村史編纂委員会)
「水府村の歴史散歩」・「水府村の民話」(水府村教育委員会)
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)

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