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笠間稲荷と紋三郎(笠間市)

江戸時代の中期、笠間藩主に井上正賢という殿様がおりました。

ある夏の夜、殿様の夢枕*1にきちっとした身なりの白髪の老人があらわれ、「私は高橋町にある稲荷である。 社が狭いので住みにくく不便である。里人もまたこれを憂えている。」というとすっと消えてしまったのです。殿様が目を覚ますと、枕元にクルミ*2の実が一つありました。

さっそく、その稲荷を家来に調べさせると、確かに粗末な社なので、となりの土地を寄進し立派な社を建てました。

それからしばらくして、またも殿様の夢の中にその老人がクルミの実を入れた籠を手にしてあらわれました。「私は胡桃下稲荷である。広い敷地に新しい社が出来て、村人たちも私も大変喜んでいる。今後も領民の幸せのためにつくしてほしい。」といって立ち去ったのです。この社が笠間稲荷神社で、それ以来、笠間藩主の祈願所となったのだそうです。

笠間稲荷神社にまつわる言い伝えをもう一つ。
むかし、奥州の棚倉藩主にたいそう鷹狩り*3,4の好きな殿様がおり、たくさんの鷹を飼っておりました。
ところが、ある日、殿様がかわいがっていた一羽の姿が見えなくなってしまったのです。家来たちが必死でさがしまわりましたが、見つけることができませんでした。そこで、「これは狐の仕業に違いない。明日にも、このあたりの狐を残らず退治してしまおう。」ということになりました。

その晩のこと、殿様の夢の中に老人があらわれ、「私は、笠間の紋三郎と申す者である。私に考えがあるので、狐狩りを三日ほど待っていただきたい。」というのです。殿様は老人の願いを聞き入れ、狐狩りを延期することにしました。

そして、三日後の朝のこと、さがしていた鷹が玄関先の敷石の上に戻っており、そのかたわらに一匹の老いた狐が横たわっていたのです。
「あの老人が悪さをした狐を捕らえ、鷹を連れ戻してくれたのか・・・・。」 たいそう驚いた殿様はさっそく使いを出し、笠間の紋三郎という老人をさがさせました。ところが、紋三郎という人物は実在せず、それは笠間稲荷神社の俗称であるということがわかったのです。

殿様は、「誤って罪のない多くの狐の命を奪うところであった。」と神様に感謝し、「大のぼり*5一対」を笠間稲荷神社に奉納し、後々まで信仰したということです。


 
*1 夢枕
夢を見ているときの枕もと。または、見ている夢の中。
*2 クルミ(胡桃)
クルミ科クルミ属の落葉高木の総称。また、その実。堅い殻に覆われた実は食用。また、油の原料。材は建材・用具材となる。
*3 鷹
ワシタカ目の鳥のうち、小・中形の鳥類の総称。大形のものはワシという。
*4 鷹狩り
飼いならした鷹を放って、鳥獣をとらえさせる狩猟。
*5 のぼり(幟)
旗の一種。細長い布の一端を竿の先につけて立てるもの。


参考資料
「笠間の民話」(笠間市生涯学習推進本部)
「笠間市の昔ばなし」(笠間市文化財愛護協会編)
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)

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