甚兵衛じいさんと狐(久慈郡大子町)
むかし、上岡(現在の久慈郡大子町)の山小屋に、甚兵衛という年寄りのきこり*1が住んでおりました。
ある日のこと、甚兵衛じいさんが山で仕事をしていると、一匹の狐があらわれ、かたわらに置いてあった仕事着の下にあわててもぐりこんだのです。
どうしたんだろうと首をかしげていると、今度は鉄砲を手にした猟師*2がやって来て、「じいさん、こっちに狐が逃げてこなかったかな。」というのです。
じいさんは、とっさに「狐なら向こうのほうに逃げていったよ。」と答えました。そして、猟師の姿が見えなくなったのを確かめると、そっと狐を逃がしてやりました。
それからしばらくして、甚兵衛じいさんも寄る年波には勝てず、病気で寝込んでしまいました。でも、じいさんには身寄り*3がなく、看病してくれる人がおりませんでした。
ある日、山小屋に一人で臥せっているじいさんのもとに、見たこともない若い娘がやってきて、じいさんの世話をし始めたのです。じいさんにはまったく心当たりがなく、不思議に思ってどこの誰なのか、どうして親切にしてくれるのかを聞くのですが、何も答えようとしないのです。
「私は以前、おじいさんに命を助けてもらいました。ですから気にしないでください。私こそ、こんなことしかできず申し訳なく思ってます。」というのです。
里の人が、しばらく甚兵衛じいさんの姿が見えないので様子を見に行くと、かいがいしく世話をしている若い娘の姿がありました。ところが、じいさんは、その娘の看病の甲斐なく亡くなってしまいました。
それを聞いた里の人たちは、じいさんの亡骸*4を山の中腹に手厚く葬りました。
そして、そのときから娘の姿が見えなくなったのです。
里の人たちは「あの娘はいったいどこの誰だったのだろうな。」と不思議がりました。「そういえば、前に甚兵衛じいさんが狐を助けた話をしていたな。その狐が恩返しに来たのかもしれんな。」とある者がいうと、「狐とはいえ、恩を忘れないとはたいしたもんだ。偉いもんだなぁ。」と皆しきりに感心したのだそうです。
この話によく似た言い伝えが、那珂市額田にも残されています。
ある日のこと、甚兵衛じいさんが山で仕事をしていると、一匹の狐があらわれ、かたわらに置いてあった仕事着の下にあわててもぐりこんだのです。
どうしたんだろうと首をかしげていると、今度は鉄砲を手にした猟師*2がやって来て、「じいさん、こっちに狐が逃げてこなかったかな。」というのです。
じいさんは、とっさに「狐なら向こうのほうに逃げていったよ。」と答えました。そして、猟師の姿が見えなくなったのを確かめると、そっと狐を逃がしてやりました。
それからしばらくして、甚兵衛じいさんも寄る年波には勝てず、病気で寝込んでしまいました。でも、じいさんには身寄り*3がなく、看病してくれる人がおりませんでした。
ある日、山小屋に一人で臥せっているじいさんのもとに、見たこともない若い娘がやってきて、じいさんの世話をし始めたのです。じいさんにはまったく心当たりがなく、不思議に思ってどこの誰なのか、どうして親切にしてくれるのかを聞くのですが、何も答えようとしないのです。
「私は以前、おじいさんに命を助けてもらいました。ですから気にしないでください。私こそ、こんなことしかできず申し訳なく思ってます。」というのです。
里の人が、しばらく甚兵衛じいさんの姿が見えないので様子を見に行くと、かいがいしく世話をしている若い娘の姿がありました。ところが、じいさんは、その娘の看病の甲斐なく亡くなってしまいました。
それを聞いた里の人たちは、じいさんの亡骸*4を山の中腹に手厚く葬りました。
そして、そのときから娘の姿が見えなくなったのです。
里の人たちは「あの娘はいったいどこの誰だったのだろうな。」と不思議がりました。「そういえば、前に甚兵衛じいさんが狐を助けた話をしていたな。その狐が恩返しに来たのかもしれんな。」とある者がいうと、「狐とはいえ、恩を忘れないとはたいしたもんだ。偉いもんだなぁ。」と皆しきりに感心したのだそうです。
この話によく似た言い伝えが、那珂市額田にも残されています。
- 参考資料
- 「茨城のむかし話」(茨城民俗学会編)
「那珂の伝説 上」(大録義行編)