阿漕ヶ浦(那珂郡東海村)
那珂郡東海村村松に、村松大神宮*1の神池とされる阿漕ヶ浦があります。
むかし、水戸光圀公が、わざわざ伊勢に出向かなくてもお伊勢参り*2ができるようにと本殿をつくり、伊勢の皇大神宮*3を分祀*4して村松大神宮としました。
そして、伊勢の阿漕ヶ浦から魚を持ってきてこの池に放し、池の名も阿漕ヶ浦としたのです。
その時、伊勢から運ばれた魚が、不思議なことに全部片目の魚だったというのです。これは、魚を生きたまま運ぶため、器の底に敷いたササやマコモが長い道中で魚の目を傷つけてしまったためだといわれています。
また、大神宮では、旧正月に阿漕ヶ浦の魚を神前に供える神事を行っていたため、神様の池の魚を獲って食べないようにと、このような片目魚伝説を広めたのではないかともいわれています。
伝説の中でも面白いのは、日立市水木町の「泉が森」と底でつながっているという話です。阿漕ヶ浦に打ち出の小槌*5(あるいは杵)を投げ入れると、泉が森の方にぽっかりと浮いて出たのだそうです。
また、福島県いわき市の「沼の内弁財天」の池の底ともつながっており、そのため、どんな日照りの時も阿漕ヶ浦の水は涸れることはないというのです。
他にも、阿漕ヶ浦には海牛がいて、昼寝をしている海牛が三年とか七年おきに1回、人を水底に引き込むから、その周期で水難事故が起きるのだという話。これは、子供たちがそのような危ないところで泳いで溺れたりしないよう諭すために作られた話かもしれません。
この他にも大蛇、白いウナギ、水底で機を織るお姫様に関する話など不思議な言い伝えがたくさん残っています。
現在、阿漕ヶ浦は公園のフェンスと人家に囲まれており、その全景を見渡すことも水際に近づくこともできなくなっています。
北側の道路沿いから一部が望めるのですが、沿岸が白砂の浜であったというかつての美しい阿漕ヶ浦の姿を思い浮かべることはむずかしいようです。
むかし、水戸光圀公が、わざわざ伊勢に出向かなくてもお伊勢参り*2ができるようにと本殿をつくり、伊勢の皇大神宮*3を分祀*4して村松大神宮としました。
そして、伊勢の阿漕ヶ浦から魚を持ってきてこの池に放し、池の名も阿漕ヶ浦としたのです。
その時、伊勢から運ばれた魚が、不思議なことに全部片目の魚だったというのです。これは、魚を生きたまま運ぶため、器の底に敷いたササやマコモが長い道中で魚の目を傷つけてしまったためだといわれています。
また、大神宮では、旧正月に阿漕ヶ浦の魚を神前に供える神事を行っていたため、神様の池の魚を獲って食べないようにと、このような片目魚伝説を広めたのではないかともいわれています。
伝説の中でも面白いのは、日立市水木町の「泉が森」と底でつながっているという話です。阿漕ヶ浦に打ち出の小槌*5(あるいは杵)を投げ入れると、泉が森の方にぽっかりと浮いて出たのだそうです。
また、福島県いわき市の「沼の内弁財天」の池の底ともつながっており、そのため、どんな日照りの時も阿漕ヶ浦の水は涸れることはないというのです。
他にも、阿漕ヶ浦には海牛がいて、昼寝をしている海牛が三年とか七年おきに1回、人を水底に引き込むから、その周期で水難事故が起きるのだという話。これは、子供たちがそのような危ないところで泳いで溺れたりしないよう諭すために作られた話かもしれません。
この他にも大蛇、白いウナギ、水底で機を織るお姫様に関する話など不思議な言い伝えがたくさん残っています。
現在、阿漕ヶ浦は公園のフェンスと人家に囲まれており、その全景を見渡すことも水際に近づくこともできなくなっています。
北側の道路沿いから一部が望めるのですが、沿岸が白砂の浜であったというかつての美しい阿漕ヶ浦の姿を思い浮かべることはむずかしいようです。
- 参考資料
- 「東海村のむかし話と伝説」(東海村教育委員会)
「東海駅そのあたり 上・下」(佐久間 勇著)
「茨城県の歴史散歩」(茨城県歴史散歩研究会編)