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- 殿様と蛇(常陸太田市) / 2007年1月掲載
ふるさとの昔ばなしシリーズ 常陸太田市
殿様と蛇
平安末期に藤原通延が太田館という山城を築いたのが起源と伝えられています。
その後、佐竹の祖*1である昌義から二十代義宣が秋田に国替え*2になる一六〇二年までの四百六十年以上もの間、佐竹氏の居城*3となっておりました。
いつの時代のことか、その佐竹城主の中にたいそう蛇好きの殿様がいたのだそうです。
それもお城の中で小蛇を飼い、お側において大変かわいがっておりました。
いくら小さいとはいえ蛇が苦手なお女中たちはたまりません。
中には、怖がって近づけない者もおり、女中の気持ちを思いやった殿様はとうとう家来に命じ、蛇を捨てる決心をしたのです。
ところが、命を受けた家来は、遠くまで捨てに行くのが面倒なので蛇をお城の堀に捨ててしまったのです 。
それからしばらくすると、殿様の夢の中に小蛇があらわれ、「お殿様、私は今お城のお堀におります。私は、お堀にいる主*4にじゃまもの扱いにされ、いじめられて困っています。どうかお助けください。」と訴えるのです 。
殿様は明くる朝、お堀の中を探させ、小蛇をつれてこさせると、蛇の頭に八幡宮のお札を結んで、「もうこれで大丈夫じゃ。」といって放してやりました 。
するとその夜、また殿様の夢の中に小蛇があらわれ、「ありがとうございました。おかげさまで前の主がいなくなり、今度は私が主になりました。ご恩は決して忘れません。もし、日照りでお困りのときがありましたら、私のことを思い起こして雨乞い*5をして下さい。なんとか雨を降らせてみせます。」というと、すっと消えてしまいました。
それ以来、日照りで水不足のときは、お堀にお供え物をして雨乞いをすると、不思議と雨が降ったので、「御吉事*6の雨」といわれて城下の人々に喜ばれるようになったのだそうです。
現在の太田小学校一帯が太田城の本丸であったことから、太田小学校の校庭には「舞鶴城址」の碑が建てられています。
参考資料- 「常陸太田市史 民俗編」(常陸太田市)
「常陸太田の史跡と伝説」(森田弘道著)
「図説 那珂・久慈・多賀の歴史」(郷土出版社)
「茨城・蛇の民俗と民話」(更科公護著)
「茨城県の歴史散歩」(茨城県歴史散歩研究会編)