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- 稲田の草庵(笠間市) / 2007年11月掲載
ふるさとの昔ばなしシリーズ 笠間市
稲田の草庵
むかし、親鸞*1聖人は、稲田(現在の笠間市稲田)に草庵*2を建て、その草庵を中心に広く布教活動をしておりました。草庵はいつも聖人の教えを聞きにやって来る人たちでいっぱいでした。
福田村に住む弥七夫婦も熱心な信者で、三里(約十二キロメートル)の道のりもいとわず熱心に通っておりましたが、なぜか二人そろって来ることはありませんでした。
福田村に住む弥七夫婦も熱心な信者で、三里(約十二キロメートル)の道のりもいとわず熱心に通っておりましたが、なぜか二人そろって来ることはありませんでした。
たいへん貧しい弥七夫婦は、よそゆきの着物を一枚しか持っていなかったので、それを交代で着て行くしかなかったのです。
ところがある日、聖人の特別なお話があると聞いて、その日ばかりは何としても夫婦そろって話を聞きたいと思いました。
弥七が何か良い方法はないだろうかと考えていると、部屋の片隅に置いてあったつづら*3が目に留まりました。
「そうだ。お前がこの中に入れば着物を着なくてもすむぞ。つづらの中でも聖人様の話は聞けるだろう。」
当日、弥七は女房が入ったつづらを背負うと、草庵に向かって三里の道のりを歩き出しました。
そして、無事たどり着くと一番後ろにつづらを置いて聖人の話に耳を傾けました。
一方、つづらの中の女房は周りに気づかれぬよう、ふたを細めに開けて聞き入っておりました。ところが、話が進むにつれ、教えをよく聞こうとするあまり身を乗り出しすぎて、細帯姿*4のままつづらから転げ出てしまったのです。
これを見た人々が騒ぎ出すと、親鸞聖人は、「みなさん、お静まりなさい。浄土*5への道では、賢いふりをしたり、善人ぶったりする必要はないのです。外形をいかに美しく見せようとも心に真実がなければ何もならないのです。弥七の妻こそお手本にすべきです。」と、おさとしになったということです。
稲田の草庵は、御坊・禅坊とも呼ばれ、現在は浄土真宗別格本山西念寺となっています。
参考資料- 「笠間市史 上巻・地誌編」(笠間市)
「笠間市の昔ばなし」(笠間市文化財愛護協会編)