ふるさとの昔ばなしシリーズ 古河市

思案橋の弘法水

古河市下辺見の向堀川に思案橋という名の小さな橋があります。

静御前*1が、兄の頼朝に追われて平泉に落ちのびた源義経*2を慕って下辺見まで来たとき、義経の死を伝え聞き、この橋の上で行こうか戻ろうか思案したことから、その名がついたといわれています。

また、ここには弘法大師にまつわる「弘法水」の話が残されています。

むかし、雪が降りしきる大晦日のこと、一人の旅のお坊さんが坂間村(現在の古河市坂間)に差しかかったとき、一軒の粗末なつくりの家を見つけ、一夜の宿を乞いました。

戸をたたくと、お婆さんが出てきて快く迎え入れてくれました。お婆さんはお坊さんをいろりのそばに案内すると、正月用にとっておいたわずかの米でお粥をつくり、温かくもてなしてくれたのです。 

しばらく世間話をしていると、お婆さんは、「お坊さま、私には目の見えない息子がおります。働くこともできないので何とか治してやりたいのですが・・・」というのです。

それを聞いたお坊さんは、「明日の朝、この雪がやんでお日さまが出ていれば目は治る。」と告げました。お婆さんは、その晩は眠れませんでした。明日は晴れますようにとひたすら祈り続けたのです。

あくる朝、お婆さんがおそるおそる戸を開けてみると、外は一面の銀世界に朝日が輝いてまぶしいほどでした。

ほっとした様子のお婆さんを見てお坊さんは、「ここから東に向かって歩いて行くと川がある。その川の水をすくって息子さんの目を洗ってあげなさい。」というと、立ち去っていきました。

お婆さんは、さっそく東に向かって歩き出しました。しばらく行くと、思案橋があり、下には向堀川のきれいな水が流れておりました。その水をくみ、竹筒に入れて家に持ち帰ると、息子の目をていねいに何度も何度も洗ってあげました。

すると、本当に目が見えるようになったのです。親子は手を取り合って喜びました。

この話は、やがて近隣の村々にまで知れ渡り、“病が治るありがたい水”を求めるたくさんの人々でにぎわうようになったということです。

そして、そのお坊さんは弘法大師*3にちがいないとうわさになり、やがてこの水は弘法水といわれるようになったのだそうです。

 
*1 静御前
源義経の愛妾。京都の白拍子(しらびょうし;平安末期に起こった歌舞。また、それを業とする遊女)。
*2 源義経
平安時代の武将。義朝の九男。兄頼朝の挙兵に応じて源義仲を討ち、さらに平氏を一谷・屋島・壇ノ浦に破った。後に、頼朝にうとまれて反抗、衣川で自刃した。
*3 弘法大師
平安初期の僧 空海。わが国真言宗の開祖。最澄ら共に唐に学び、帰国後、高野山に金剛峰寺を開いた。書にすぐれ、三筆の一人にあげられ、漢詩文にも秀でた。


参考資料
「古河市史 民俗編」(古河市)
「いろりばた 筑波野の昔話」(仲田安夫著)
「総和町」(茨城県商工会連合会)