ふるさとの昔ばなしシリーズ 土浦市

山の神退治

土浦市小野の日枝神社は、明治維新の前は山王大権現といい、「山王さま」の名で親しまれていました。

むかし、山王さまの北の山奥に、村人が「山の神」と呼んで恐れる得体の知れぬ何ものかが棲んでおりました。この山の神は村人の暮らしを守るどころか、田畑の作物や家畜に害を及ぼし、村人たちをさんざん苦しめていたのです。

ある日、甲山城主・小神野越前守は、名主の娘が山の神を鎮めるために人身御供*1に差し出される話を耳にしました。心優しい越前守は何とか娘を助けてやりたいと考え、弓の名手である市川将監の力を借りてその山の神を退治することにしたのです。

人身御供のその日、準備をととのえた越前守と将監は、娘を入れた柩*2をかついで山を登っていく村人の行列の後を追いました。
そして、村人たちが山の上に柩を置いて一目散に逃げもどると、二人はあらかじめ目をつけておいた木の根方にひそみ、山の神のあらわれるのを待つことにしました。「山の神の正体は凶暴な獣に違いない。きっと成敗してくれる。」

夜が更けてしばらくすると、かすかな月明かりの中、森の奥から何やら大きな黒い影が柩に近づいて来るのが見えたのです。

「化け物め、正体をあらわしたな。」 将監が怪物めがけて矢を放つと見事命中し、怪物は不気味な叫び声をあげてよろめきました。そこをすかさず、越前守がかけ寄って刀でとどめを刺し*3、息の根を止めたのです。怪物の正体は年をとった大猿でした。

二人が娘を無事助け出して村へ連れ帰ると、村人たちは大喜び。やっと村に平和な日々がもどってきたのでした。

日枝神社の祭礼に奉納される流鏑馬神事*4.5はこの話に由来するといわれ、毎年四月に行われています。(今年の流鏑馬神事は、四月五日に行われました。)

 
*1 人身御供
生贄(いけにえ)として人間を神に供えること。また、供えられる人。
*2 柩(棺)
遺体をおさめて葬る木製の箱。かんおけ。
*3 とどめを刺す
確実に殺すため、倒れたものののどなどを刺して生き返らな いようにする。
*4 流鏑馬
馬に乗って走りながら、鏑矢(かぶらや)で順々に的を射るもの。神事・祭事に行われる。
*5 神事
神を祭る儀礼・行事。


参考資料
「新治村の昔ばなし」(仲田安夫著)
「新治村の昔ばなし」(伊藤三雄著)
「図説 新治村史」(新治村教育委員会)
「茨城の神事」(茨城県神社庁編)
「茨城242社寺ご利益ガイド」(今瀬文也著)