ふるさとの昔ばなしシリーズ 水戸市

大火を呼ぶ山車

 むかし、江戸の神田明神のお祭りは、日枝神社の山王祭とともに天下祭りといわれ、たいそう豪勢*1なものでした。毎年、各町内が競って趣向をこらした山車*2を出して町中を練り歩きました。

ある年、神田佐久間町では、イザナギ・イザナミ*3の二神が天の浮橋*4に立つ姿を飾った見事な山車を披露しました。

ところが、その晩、佐久間町で大火事が起きてしまったのです。町の人たちは縁起が悪いと、その山車を深川の町に売り渡してしまいました。

すると次の年、富岡八幡宮のお祭りにその山車を引き出すと、今度は深川で大火事が発生してしまったのです。深川では、もうこの山車は江戸におけないと、水戸の馬口労町(現在の末広町)に譲り渡してしまいました。

ちょうど馬口労町では山車が無かったので、喜んで八幡宮*5(現在の八幡町)のお祭りに山車を引き出したところ、やはりその夜、馬口労町でも十数戸が焼ける大きな火災が起こってしまったのです。

しばらくして、江戸での曰く因縁*6を知った馬口労町の人々は大変驚きました。

「イザナギ・イザナミの神様を山車にのせて引き回したりするから、そんなことになったのかもしれない。」 馬口労町の人々は相談の結果、その山車を八幡宮に奉納することにしたのです。

八幡宮の三島神社にまつられた二神はその後、祠から引き出されることはありませんでした。そのためか、のちに町内で火が出たときも大事に至らずに済んだという話が伝えられています。

また、太平洋戦争末期の空襲で水戸の町のほとんどが焼け野原と化してしまったときでも、八幡宮は戦火を逃れることができたのだともいわれます。そして、はじめは「火を好む神」といわれた二神は、やがて火事を防ぐ「火伏せの神」として信仰を集めるようになったのだそうです。


 
*1 豪勢
ぜいたくで立派なさま。
*2 山車
祭礼の時、種々の飾り物をつけて引き出す車。だんじり、やま。
*3 イザナギ・イザナミ
日本神話の中の創造神。天つ神の命をうけイザナギノミコト(男神)・イザナミノミコト(配偶女神)は、八つの島(日本の国)やたくさんの神を生んだとある。
*4 天の浮橋
神が高天原から地上へ降りるとき、天地の間にかかるという橋。
*5 八幡宮
佐竹氏が江戸氏を討ち水戸に入城後、太田(現在の常陸太田市)より移された神社。八幡小路(後の田見小路、現在の北見町)にあったが、一時、徳川光圀により那珂西村(現在の城里町)に遷宮、1709年(宝永六年)現在の地  水戸市八幡町に移された。
*6 曰く因縁
物事の背後のある由来やいきさつ。


参考資料
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「茨城の史跡と伝説」(茨城新聞社編)
「水戸の民話」(藤田稔編著)
「茨城百景巡歴」(室伏勇著)
「茨城県の歴史」(瀬谷義彦・豊崎卓共著)
「神社神々 知れば知るほど」(井上順考監修)