ふるさとの昔ばなしシリーズ 猿島郡境町

弁慶の足跡

 今から八百年以上も前のこと、源義経*1は、兄源頼朝*2を助け、一ノ谷の戦い、屋島の戦いで手柄をたて、ついに壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼします。

ところが、数々の功績にもかかわらず、頼朝との仲はどんどん悪くなっていき、ついに頼朝から追われる身となってしまったのです。義経は、武蔵坊弁慶らを供に、奥州の藤原氏を頼って北へ北へと逃げおちて行きました。

ある日、義経一行はその道中で、癪*4で苦しんでいる老人に出会いました。
心優しい弁慶*3は、困っている人を見ると放っておけず、逃亡の旅にもかかわらず、それまでも多くの人を助けてきました。

弁慶は持ちあわせていた薬をその老人に飲ませました。すると、すぐに効いて痛みが治まったので、喜んだ老人は、お礼にと笛をさし出し、「もし、命の危険がせまるようなことがあったら、この笛を吹きなさい。」と言って弁慶に手渡したのです。

それからまもなくして、義経一行は、頼朝がさし向けた追っ手に取り囲まれてしまいました。(もう、これまでか・・・・・)と覚悟した時、弁慶はあの老人のことばを思い出したのです。すぐさま笛を取り出し必死の思いで吹くと、不思議なことに弁慶の体は見る見る大きくなりました。そして、手のひらに義経を乗せると、空高く舞い上がり、追っ手から無事逃れることができたのです。

実は弁慶が助けた老人は「神様」で、心優しい弁慶を守ってくれたのかもしれません。弁慶がその時に残した大きな足跡が、現在の境町伏木南部にある大照院の池跡と、むかし伏木北部にあったという星智寺の池であると言い伝えられています。

弁慶伝説はこのほかにも、本欄で以前紹介しました鉾田市(旧旭村)の「弁慶の運んだ釣鐘」や守谷市の「弁慶の力くらべ」などがあります。

一方、義経に関しては、古河市(旧総和町)に次のような話が残されています。義経を慕う静御前*5が義経の後を追い、平泉を目指す旅の途中、下辺見まで来たとき、義経が死んだといううわさを耳にします。静御前は、橋の上で行こうか戻ろうか思案にくれた末に京に引き返しました。そこでこの橋を「思案橋」、そしてこのあたりは「静帰りの里」というのだそうです。



 

 

 

 
*1 源義経
(1159~1189年)平安末期の武将。義朝の9男、幼名は牛若。藤原秀衡のもとに身を寄せるが、秀衡死後、その子泰衡に急襲され、衣川で自刃
*2 源頼朝
(1147~1199年)鎌倉幕府初代将軍。武家政治の創始者。義朝の3男。
*3 武蔵坊弁慶
(~1189年)鎌倉初期の僧。源義経に仕えた豪傑。数々の伝説を持ち、物語・歌舞伎でもよく取り上げられる。
*4 癪
種々の病気によって胸部・腹部に起こる激痛の通俗的総称。さしこみ。
*5 静御前
源義経の愛妾。京都の白拍子。生没年未詳。

 
参考資料
「母が子に語る境の民話」(境町文化協会境読書会編)
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「筑波町の昔ばなし」〈上〉(仲田安夫著)