ふるさとの昔ばなしシリーズ つくば市

親鸞聖人と餓鬼

むかし、親鸞聖人*1が筑波山に参詣したときのことです。

 山に登る前の晩、ふもとの宿で眠りにつくと、聖人の夢の中に一人の子供(老婆ともいわれる)があらわれ、「私は筑波権現*2の使いである。明日、筑波山の三つの岩屋(洞穴)のうちの中の岩屋に来ていただきたい。」というと、ふっと消えてしまいました。

明くる日、聖人は不思議に思いながらも、その岩屋に行ってみると、そこには大きな釜があるだけでした。(これはいったい何なのだろう。)……聖人がしばらくあたりを見まわしていると、岩屋の奥からやせ細った餓鬼*3たちがぞろぞろ出てきたのです。

「私どもは人間界にいたとき、欲深でだらしない生活をしていたため、罰があたって餓鬼道に落ちてしまいました。筑波権現のお慈悲でここにすまわせてもらっていますが、毎日、釜の水を一滴だけしかいただけません。二滴目を飲もうとすると水は火となってはらわたを焼きつくすのです。聖人、どうかこの苦しみから救ってください。」と泣きながら何度も訴えるのです。

聖人は哀れに思い、「それならこれまでの行いを悔い、心を込めて念仏を唱える以外に道はない。」と諭しました。
餓鬼たちは聖人の教え通り、一心に念仏を唱え始めました。二日二夜、餓鬼たちとともに念仏を唱え続けた後に、聖人は餓鬼たちに「水を飲んでみなさい。」と言いました。餓鬼たちは恐る恐る水を口に含んでみました。すると、これまでのような苦痛がまったくなく、いくらでも飲めるのです。さらに一日念仏を唱えさせると、天空から五色の雲が岩屋に降りて来て、餓鬼たちを乗せ、西方の極楽浄土*4に向かって消えて行ったということです。

男体山頂の下、自然研究路の入口近くに大きな石があり、そこが親鸞聖人が「餓鬼済度*5」をしたところと言い伝えられています。
また、この巨岩は「立身石」と呼ばれています。その名は、間宮林蔵*6が十三歳のとき、この石に立身出世*7を祈願し、後に樺太探検の大偉業を成し遂げたことに由来するといわれ、後に、この石にお願いすれば、進学や就職などの希望がかなうと信じられるようになったのだそうです。



 

 

*1 親鸞
鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖。
*2 権現
仏が衆生を救うために、神・人など仮の姿をもってこの世に現れること。またその現れたもの。神の尊号。
*3 餓鬼
悪行の報いとして餓鬼道に落ちた亡者。やせ細って、のどが細く飲食することができないなど、常に飢えと渇きに苦しむという。
*4 極楽浄土
阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、苦しみの無い安楽の世界。
*5 済度
仏・菩薩が苦海にある衆生を救い出して涅槃にわたらせること。法を説いて人々を迷いから解放し悟りを開かせること。
*6 間宮林蔵
江戸後期の探検家。伊能忠敬に測量学を学び、幕命によって蝦夷地や樺太を探検。1809年(文化6年)、後の間宮海峡を発見した。
*7 立身出世
高い地位や身分に就いたり成功したりして、世間に有名になること。


参考資料
「筑波町の昔ばなし」〈上〉(仲田安夫著)
「茨城の史跡と伝説」(茨城新聞社編)
「ふるさとの散歩道」(茨城県商工労働観光物産課・茨城県観光協会監修)
「茨城と親鸞」(今井雅晴著)