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十年は千年―だまされた大蛇(水戸市)

かつて、旧石下町(現在は常総市)の鬼怒川の西に飯沼という大きな沼がありましたが、江戸時代中期、享保年間*1の干拓事業により埋めたてられました。

現在、常総市の北西部を流れる飯沼川沿いに広がる細長い水田地帯が飯沼の干拓地です。


むかし、干拓前の飯沼は満々と水をたたえ、背丈を越すほどの葦*2が生い茂っておりました。


ある時、沿岸の鴻野山村の村人たちが、田んぼを広げようと飯沼に掘割を通し、葦を刈り取って沼地を開墾し始めました。


それを見た沼の主*3である大蛇が「そんなことをされては自分の棲むところがなくなってしまう」と、あちこちに出没してはいたずらを繰り返し、邪魔をしてまわったのです。


困り果てた村人たちが役人に相談すると、「沼の主にさからうのはまずい。田んぼを広げるのも大事であろうが、ここはあきらめたほうがよい。」と逆になだめられてしまいました。


そこで、村人たちは、次に菩提寺*4の和尚さんのところに相談に行くと、和尚さんは「わしがなんとかしよう。」と沼辺に行って大蛇に会い、村人たちの気持ちを直接伝えてくれたのです。


そして、大蛇に「東の方に北浦という広くて美しい湖があるから、十年間だけそこへ移り棲んでもらえないだろうか。」と頼みました。


大蛇も十年くらいならと譲り、「その代わり、証文*5を書いてくれ。」と要求しました。


和尚さんは筆を取り出すと、さらさらと証文を書き、大蛇が大きなくしゃみをしているすきに、期限十年の十の字の左上にポトリと墨を一滴落としました。


やがて十年が経ち、大蛇は証文を携えて飯沼に戻ってきました。そして役人に、「約束どおり、これからは飯沼に棲む。」と告げたのです。


すると、証文を受け取った役人が、「期限は千年となっているではないか。まだ戻ってくるには早すぎる。」と言って、大蛇を追い返したのです。


大蛇は悔し涙を流しながら、また北浦へと戻っていったということです。



*1 享保年間
1716年~1736年。飯沼の干拓工事は享保10年に着工された。
*2 葦
イネ科の多年草で各地の水辺に群生する。茎はすだれの材料。
*3 主
山または河などに古くからすんで霊力があるといわれる動物。
*4 菩提寺
先祖代々の墓・位牌をまつる寺。
*5 証文
証拠となる文書。ある事実を証明する文書。


参考資料
「石下町の昔ばなし」(渡辺義雄著)
「石下町史」(石下町)
「角川地名大辞典 茨城県」(角川書店)

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