義家に滅ぼされた一盛長者(水戸市)
むかし、台渡里の長者山(現在の水戸市渡里町)に、一盛(一守)長者という豪族*1が住んでおりました。
八幡太郎の通称で知られる源義家*2が、後三年の役*3(一〇八三~一〇八七年)のとき、十万余の大軍を率いて奥州*4に向かう途中に、その長者屋敷に立ち寄りました。
八幡太郎の通称で知られる源義家*2が、後三年の役*3(一〇八三~一〇八七年)のとき、十万余の大軍を率いて奥州*4に向かう途中に、その長者屋敷に立ち寄りました。
長者は、すぐさま山のようなごちそうと酒を用意して義家一行を手厚くもてなし、その酒宴は三日三晩も続きました。
義家が奥州を平定しての帰り道、再び一盛長者の屋敷に立ち寄ると、前にもまして豪華なもてなしを受けたのです。
そこで義家は、『このようなおそろしいほどの大金持ちをこのままにしておいては後々災いのもととなる。謀反*5などをくわだてぬよう今のうちに滅ぼしてしまおう。』と考え、長者の屋敷に火を放ち、一族を全滅させてしまったのです。
この時、長者は秘密の抜け穴に逃れ、身をひそめておりました。しかし、抜け穴も義家の家来に見つかり、長者は出口まで追いつめられてしまいました。
出口のすぐ下は那珂川です。もう逃れられないとさとった長者は、家宝にしていた黄金の鶏を抱いたまま川に身を投げてしまったということです。
長者屋敷跡は、水戸市の北西に広がる標高三十二メートルの渡里町台地の北東部先端にあり、崖下には那珂川や田野川などの流域の低地・水田地帯が広がっています。
現在も土塁や空堀が残されており、古代末期から近世初期にかけて、しばしば豪族の館や城が築かれた所といわれています。
また、水戸市大工町の雷神様(別雷皇太神)の秋の例祭に奉納される「向井町のささら」で使われる三体の獅子頭は、一盛長者の財宝のひとつで、このとき家来によって運び出されたものだとの言い伝えもあります。
参考資料- 「水戸市史 上巻」(水戸市)
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「水戸の民話」(藤田稔編著)
「茨城の史跡と伝説」(茨城新聞社編)
「茨城県の歴史」(茨城県歴史散歩研究会編)
「常陸国の氏族」(向谷地由行著)