たっつぁいと馬の話(那珂市)

むかし、額田村(現在の那珂市額田)に、たっつぁいという「ちくぬき」(ほらふき・うそつき)の名人がおりました。
たっつぁいの評判はいつしか水戸の殿様の耳にも届きました。ある日、殿様は、たっつぁいをお城に呼びつけると、ちくを披露するよう命じたのです。
すると、たっつぁいは、「急なお呼びでしたので、うっかりちくの種本*1を家に忘れてきてしまいました。」と答えたのです。
「すぐにその種本を取ってまいれ。」という殿様に、たっつぁいは、「額田まで三里*2もありますので、足の速い馬をお借りしたいのですが。」と申し出、殿様がお気に入りの一番良い馬に乗って村に帰っていきました。
ところが、待てども待てども、たっつぁいは戻ってこないのです。待ちくたびれた殿様は、家来にたっつぁいを呼びにやりました。
すると、たっつぁいは、「ちくに本(本当のこと)などありません。これが本当のちくぬきです。」とケロッとした顔で答えたのです。
それを聞いた殿様は、「これはしてやられた。たっつぁいのちくは天下一だ。」と褒め、ごほうびにその大切な馬をくだされたのでした。
たっつぁいが殿様から馬をもらった話は村中に知れ渡りましたが、今度はその馬が金の糞*3をすると評判になりました。たっつぁいが川で馬糞をゆすいでいるので、不思議に思った近所のおかみさんがじっと見ていると、糞の中からキラキラした金のようなものが出てきたという噂が広まったのです。
それからというもの、たっつぁいの家には、馬を売ってほしいという人があちこちからたくさんやってきました。たっつぁいが断り続けるので、馬の買い値がどんどんはね上がり、とうとう小判*4百両もの値がついたのです。そこで、たっつぁいは、しぶしぶ馬を手放すことにしました。
それからしばらくすると、馬の買い主がたっつぁいのもとに怒鳴り込んできました。馬がいっこうに金の糞をしないというのです。すると、たっつぁいは涼しい顔でこういいました。
「旦那さん、馬にどんなエサを食わしたんですか。私はいつも金を食わしていたんですよ。」
たっつぁいの評判はいつしか水戸の殿様の耳にも届きました。ある日、殿様は、たっつぁいをお城に呼びつけると、ちくを披露するよう命じたのです。
すると、たっつぁいは、「急なお呼びでしたので、うっかりちくの種本*1を家に忘れてきてしまいました。」と答えたのです。
「すぐにその種本を取ってまいれ。」という殿様に、たっつぁいは、「額田まで三里*2もありますので、足の速い馬をお借りしたいのですが。」と申し出、殿様がお気に入りの一番良い馬に乗って村に帰っていきました。
ところが、待てども待てども、たっつぁいは戻ってこないのです。待ちくたびれた殿様は、家来にたっつぁいを呼びにやりました。
すると、たっつぁいは、「ちくに本(本当のこと)などありません。これが本当のちくぬきです。」とケロッとした顔で答えたのです。
それを聞いた殿様は、「これはしてやられた。たっつぁいのちくは天下一だ。」と褒め、ごほうびにその大切な馬をくだされたのでした。
たっつぁいが殿様から馬をもらった話は村中に知れ渡りましたが、今度はその馬が金の糞*3をすると評判になりました。たっつぁいが川で馬糞をゆすいでいるので、不思議に思った近所のおかみさんがじっと見ていると、糞の中からキラキラした金のようなものが出てきたという噂が広まったのです。
それからというもの、たっつぁいの家には、馬を売ってほしいという人があちこちからたくさんやってきました。たっつぁいが断り続けるので、馬の買い値がどんどんはね上がり、とうとう小判*4百両もの値がついたのです。そこで、たっつぁいは、しぶしぶ馬を手放すことにしました。
それからしばらくすると、馬の買い主がたっつぁいのもとに怒鳴り込んできました。馬がいっこうに金の糞をしないというのです。すると、たっつぁいは涼しい顔でこういいました。
「旦那さん、馬にどんなエサを食わしたんですか。私はいつも金を食わしていたんですよ。」
*1 種本- 著作や講義のよりどころとなる、他人の著作。
- *2 里
- 距離の単位。一里は36町(3.9273㎞)に相当。三里は約12㎞。
- *3 糞(ふん・くそ)
- 動物が肛門から排泄する食物の滓(かす)。大便。
- *4 小判
- 天正(1573~1592年)頃から江戸末期まで流通した、薄い楕円形の金貨または銀貨。その一枚が一両に相当。
参考資料- 「常陸のたっつぁい噺」那珂町額田の民話(大録義行編)
「茨城のむかし話」(茨城民俗学会編)