大蛇退治(久慈郡大子町)
むかし、高笹山の中腹に洞穴があり、そこに大蛇がすんでいるといわれておりました。この大蛇は、鬼*1や美女、時には小さな子供の姿に化けて、近隣の村々に下りては危害を加えておりました。
困り果てた村人たちが、時の朝廷*2に大蛇退治を申し出ると、那須国守 須藤貞延という人が朝廷の命を受けて鬼退治にやって来ました。
ところが、貞延が共を連れて高笹山まで来ると、突然、雷鳴がとどろいて凄まじい雷雨となり、まるで行く手をさえぎるかのようにあちこちで崖崩れが起こったのです。
貞延一行がやっとの思いで洞穴にたどり着いたとき、稲光りが一瞬洞穴の中を明るく照らし出しました。すると、そこには、鎌首*3をもたげ今にも襲いかかろうとしている大蛇の姿があったのです。
貞延は勇気を奮い起こし、八幡大菩薩*4に祈願した時に授かった弓矢と弓引きの技をもって、見事に大蛇の口から頭を射抜きました。大蛇は崖を転げ落ちて息絶えたということです。やがて死骸からにじみ出た油がそばの沢に流れ込んだことから、その沢は「腐沢」といわれるようになったということです。
八溝山に関しても同じような話があります。むかし、池田の鏡城主 藤原富得という人が八溝の山にすむという鬼を退治にやってきました。
途中、大きな沼の前まで来ると、突然、山が揺れんばかりの強い風が吹き始め、静かだった沼の水面に不気味な渦が巻き起こりました。近づいて渦の中をのぞくと、沼の底から、恐ろしい大蛇が口から炎を吐きながら現れたのです。
思わず後ずさりしたそのとき、富得の耳に、「村人を害から守るため、速やかに大蛇を退治しなさい。」という神の声が届いたのです。その声に奮い立った富得は見事に大蛇を退治したということです。
大蛇のすんでいた土地ははじめ「蛇下地」といわれましたが、後に「蛇穴」と改められたということです。
- 参考資料
- 「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「茨城・蛇の民俗と民話」(更科公護著)