文助の弓矢地蔵(笠間市)
文助は、父が江戸下屋敷詰めであったため主に母に育てられておりました。そのためか、幼い頃から争いごとを好まぬ心優しい子で、学問には勝れていましたが、武術の方はあまり得意ではありませんでした。
特に弓術においては、鉄の矢尻*3を付けた本物の矢を使う段階になると、なぜか緊張してしまい、手先が震えてうまく矢を射ることができないのです。
ある日、先生は、文助のあまりの不器用さにあきれ、「玄勝院の地蔵*4でも射って来い。」としかりつけました。
そのことばを真に受けた文助は、足取りも重く玄勝院へと向かいました。
でも、幼い頃から母と一緒に親しみをこめて手をあわせてきたお地蔵様に向けて矢を放つことなどとてもできません。
かといって、先生の命にそむくこともできないのです。
震える手で何度も矢をつがえては下ろし、射ることをためらっておりましたが、しばらくしてお地蔵様に目を向けると、お地蔵様の顔が自分の気持ちを察して迎え入れるかのように優しくほほえんで見えたのです。
文助は、(どうかお許しください。)と心の中で詫び、お地蔵様めがけて思い切り矢を放ちました。
矢はお地蔵様の胸に命中し、「カチッ」という音とともに火花が散りました。
「お地蔵様、申し訳ありません。」 文助は急いで駆け寄り、何度も詫びました。すると、お地蔵様の胸元が欠け、目の前に石の破片が落ちてきたのです。
文助は、自分の弓の威力に驚き、そのかけらを手にしばしお地蔵様と相対しておりましたが、やがて、喜びと自信が湧いてくるのを覚えました。
文助は、お地蔵様に心から感謝し、これからは学問にも武術にも一所懸命励むことを誓いました。その後、文助の弓の腕前はめきめきと上がり、先生を超えるほどになりました。
それ以来、このお地蔵様は「文助の弓矢地蔵」と呼ばれるようになったのだそうです。
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参考資料
- 「笠間市の昔ばなし」(笠間市文化財愛護協会編)
「笠間の民話」(上)(笠間市教育委員会生涯学習課編)