鍋のつる(那珂市)
むかし、入向山(現在の那珂市向山)は額田千石溜の入江になっていたため、たくさんの野鳥の生息地でした。
江戸時代には、近くに水戸徳川家の菩提寺*1である「浄鑑院常福寺(向山常福寺)」(現在の那珂二中の東側)があったことから、この辺りは禁猟*2区に指定されておりました。
江戸時代には、近くに水戸徳川家の菩提寺*1である「浄鑑院常福寺(向山常福寺)」(現在の那珂二中の東側)があったことから、この辺りは禁猟*2区に指定されておりました。
特に、冬に渡ってくる鍋鶴は、生け捕りにすることも固く禁じられていたのです。
ある日のこと、この村に住む甚兵衛は、田んぼの畦をぎこちなく歩いている鍋鶴を見つけました。
(どうしたんだろう。怪我でもしているのかな。このまま放っておいては野良犬にやられてしまうぞ。ひとまず捕まえて家へ連れて帰ろう。)
ところが、鶴はその晩のうちにあっけなく死んでしまったのです。
「甚兵衛が介抱しようとした鶴が死んでしまったらしいぞ。」
「奉行所に知れたら大変だ。甚兵衛は牢屋に入れられてしまうに違いない。」
この話は、またたく間に村中に広まり、大騒ぎとなりました。
甚兵衛を心配し、何とか助けてあげたいと考えた村人たちは、庄屋の弥兵衛に相談に行きました。
すると、知恵者で人情にも厚い弥兵衛は、しばらく考えた末にこう言ったのです。
「つまらぬ噂を立てるものではない。甚兵衛は鍋のつるがこわれたので鍛冶屋*3に作ってくれるよう頼んだ。その“鍋のつるを打つのがすんだ”という話が、いつのまにか鍋鶴が死んだという噂になってしまっただけのこと。もう騒ぎ立てるのは止めて、みんな仕事に精を出すことじゃ。」
それ以来、鶴の噂をする者はいなくなり、弥兵衛から奉行所へ働きかけたこともあってか、甚兵衛におとがめ*4はなかったと言うことです。
- 参考資料
- 「那珂町史」〈中世・近世編〉(旧那珂町)
「那珂の伝説」〈上〉(大録義行編)