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護身地蔵(石岡市)

石岡市を通る国道六号線沿い、貝地交差点の近くに「護身地蔵尊」があります。

むかしからこのお地蔵様に願をかけると、風邪が治る、風邪をひかないと言われ、特に流行の折には参詣者でにぎわったそうです。 今回は、この護身地蔵の名の由来についてご紹介します。
 

むかし、日本各地で内乱が続いていた頃のことです。船塚山付近での戦いで敗れ、傷を負った武士が、この地蔵付近まで逃れてきました。

その頃、このあたりには人家もなく、ぽつりと地蔵尊があるだけでした。

やがて追手*1の武士たちが間近に迫り、(もはやこれまで)と手負い*2の武士があきらめかけた時です。

突風が吹き起こり、土砂を巻き上げると、まるで煙幕*3を張ったかのように追手たちの視界をさえぎり、その武士の姿を隠してしまったのです。

すると、突如一人のお婆さんが現れ、かたわらの稲くずの山を指差して、「そのごみの中に隠れなさい。」と手負いの武士に指示しました。

突風がおさまり、追手たちがあたりを見渡すと、手負いの武士の姿はどこにもなく、筵*4の上で籾*5の選り分け作業をするお婆さんがいるだけでした。

「今ここに誰か来なかったか。隠し立てするとためにならんぞ。」と、追手たちがきつく問いつめましたが、お婆さんは、「誰も来ませんでしたよ。」と、繰り返すばかりです。

「取り逃がしたか、残念。」 追手たちは、あきらめて立ち去りました。

「もう大丈夫じゃよ。」と声がするので、手負いの武士がごみの山から抜け出すと、そこにはもうお婆さんの姿はありませんでした。

(もしかして、この地蔵尊がお婆さんの姿になって私を…。) 武士は、地蔵尊の祠に手を合わせ、涙を流して感謝しました。

それから数年後、武士はその恩に報いたいと、石のお地蔵様を寄進したと言うことです。それ以来、この地蔵尊を護身地蔵と呼ぶようになったのだそうです。

 

*1 追手
逃げる敵や罪人をつかまえようと追いかける人。
*2 手負い
攻撃を受けて傷を負うこと。
*3 煙幕
戦場で、味方の軍隊・船などの動きを隠すために用いる濃煙の幕。
*4 筵
藁(わら)・竹などを編んで作った敷物の総称。
*5 籾
まだ脱穀していない、もみがらのついたままの米。

 

参考資料
「石岡市史」〈上巻〉(石岡市)
「石岡市の昔ばなし」(仲田安夫著)
「いろりばた 筑波野の昔話」(仲田安夫著)
「茨城 ふるさとのむかし話」(藤田稔編)

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