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飽田の村(日立市)

むかし、 日本武尊*1(倭健命)が東国の辺境をおまわりになっている途中、道前*2の里で仮の宿をおとりになりました。

道前の里は現在の日立市北部、JR常磐線の小木津駅を中心とした地域といわれています。


このとき、土地の人が日本武尊に、「このあたりの野には数えきれないほどの鹿が群れをなしています。


その高く突き出た角は枯れた葦原のように見え、その吐く息はまるで朝霧がたっているかのようです。


また、海には大きなアワビをはじめ、たくさんの珍しい魚や貝がおります。」と申し上げました。


そこで尊は后に、「それでは海と野にわかれて、どちらがたくさんの獲物をとれるか競い合おう。」と仰せになったのです。


尊はお供の者とともに野に出向き、一日中駆けめぐりましたが、一頭の獣も射止めることができませんでした。


一方、后は大漁に恵まれ、ほんのわずかの間に海の珍味をどっさりと獲って、尊の帰りを待っておりました。


夕暮れ時、野の狩りからお戻りになった尊は、海のごちそうをお腹がふくれるまで食べた後、「野では獲物がまったく得られなかったが、海の幸すべてを飽きるほど味わうことができた。」と仰せられたのです。


後の世になって、尊のそのことばからこの地を「飽田の村」と名付けたといわれています。これは常陸国風土記*3に記されている話です。


「飽田の村」は、現在の日立市相田町あるいは田尻町あたりといわれています。


現在は住宅地が広がり、往時の様子を想像できませんが、東に太平洋、西に広大な野と山が連なり、海山の幸を競う伝説にふさわしい地だったようです。



*1 日本武尊
古代伝説上の英雄。景行天皇の皇子。天皇の命を奉じて熊襲(くまそ)を討ち、のちに東国を鎮定する。
*2 道前
多珂の国に入る交通路の入口の意味。
*3 常陸国風土記
713年に朝廷が諸国に命じてつくらせた養老年間撰進の地誌の一。古風土記で現存するのは、出雲・播磨・常陸・豊後・肥前の五つで、完本に近いのは出雲国風土記だけ。


参考資料
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「風土記(一)全訳注 常陸国風土記」(秋本吉徳著)
「常陸国風土記」(財団法人常陽藝文センター)
「茨城の史跡と伝説」(茨城新聞社編)
「図説 那珂・久慈・多賀の歴史」(瀬谷義彦監修)

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