満福寺の犬塚薬師(常陸大宮市)
常陸大宮市上檜沢の満福寺は真言宗の寺で、むかしは下檜沢にありました。
上檜沢には古くから浄因寺という寺があったのですが、江戸時代 徳川光圀の寺院整理によって無くなり、その跡地に満福寺が移されたのです。
上檜沢には古くから浄因寺という寺があったのですが、江戸時代 徳川光圀の寺院整理によって無くなり、その跡地に満福寺が移されたのです。
現在、満福寺にある薬師堂は「犬塚薬師」といわれ、次のような言い伝えが残されています。
鎌倉に幕府*1があった頃、鎌倉の建長寺に住んでいたお坊さんが隠退*2して浄因寺にやってきました。
お坊さんは幕府の執権*3・北条氏ゆかりの人で、鎌倉との連絡役に犬を使い、犬に手紙を持たせてたびたび往復させておりました。
あるとき、鎌倉に急ぎの用件ができたお坊さんは、いつものように犬の首に文箱*4を付けると、「この手紙を大至急鎌倉まで届けておくれ。今回は特別急ぐ用事なので必ず明日中に戻ってくるのだよ。」と犬に言い聞かせたのです。
犬はすぐに鎌倉をめざして出発しました。昼も夜も休まずに走り続け、鎌倉に到着して無事用事を済ませると、すぐに取って返し帰路を急ぎました。
次の日の昼頃、やっと村にたどり着いた犬は、長い距離を休まずに全力で走ったため、寺まであと一息という高岡の坂で力尽き死んでしまったのです。
お坊さんと村人たちは、忠誠心の強い犬をあわれに思い、手厚く葬りました。
やがて、その犬の亡きがらを埋めた塚(墓)のあるあたりは「犬塚」という地名になりました。(現在、満福寺のある台地周辺を指します。)
また、当時、塚の近くにあった薬師堂は「犬塚薬師」と呼ばれるようになり、その後、浄因寺の境内に移されました。
上檜沢には他にも「ナキダイラ・(仲平)」(犬が鳴きながら通過した集落)、「箱地」(文箱を埋めた集落)といいったこの話にちなむと思われる地名が残っています。
満福寺は、十年ほど前に本堂・鐘楼、そして薬師堂も建て替えられました。
薬師堂山門をくぐると、本堂の裏手に新しい薬師堂があり、春日作といわれる薬師如来が安置されています。
*1 鎌倉幕府- 源頼朝が鎌倉に開いた日本最初の武家政権。源氏将軍は3代で絶え、その後、北条氏が実権を握ったが、1333年滅ぶ。
- *2 隠退
- 社会的活動の第一線から退いて、静かな生活に入ること。
- *3 執権
- 鎌倉時代、将軍を補佐し政務を総括した最高の職。源実朝の時、北条時政がこれに任じられ、以後北条氏が世襲した。
- *4 文箱
- 書状を入れておく手箱。また、書状を入れてやりとりする細長い箱。
参考資料- 「美和村史」・「美和村資料 近世村絵図」(美和村)
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
