白鳥の里・角折の浜(鉾田市 鹿嶋市)
常陸国風土記*1の香島の郡に、「白鳥の里」と「角折の浜」の話が記されています。
むかし、垂仁天皇*2の時代に、天から飛来した白鳥の一群がありました。
白鳥たちは、朝になると地上に舞い降り、少女の姿となって、石を拾い集めては水をせき止めて池を造ろうとしていました。
そして、夕方になると、また白鳥の姿にもどり、天へと帰っていくのでした。
来る日も来る日も、白鳥たちは石を運んでは積み上げ、堤を築き続けました。でも、堤は築いてはすぐに崩れ、いたずらに月日だけが過ぎるばかりで、完成させることができませんでした。
白鳥たちは、「白鳥の 羽が 堤を つつむとも あらふまもうきはこえ*3」(白鳥の羽が石を拾い集め堤を築こうとしても、羽がすっかり破れてしまった。)と歌いながら天に舞い昇り、二度ともどって来なかったのです。
こうしたことから名づけられたという白鳥の里とは、北浦寄りの台地、現在の鉾田市中居(旧大洋村)あたりをさすようです。
その白鳥の里の南に広がる平原を角折の浜といい、その地名の由来について次のようないわれがあると記しています。
ひとつは、むかし、このあたりに棲んでいた角のある大蛇が、東の海に出たいと思い、浜に穴を掘って行こうとしました。
そのとき、角が折れてしまったので、この名前がついたというもの。
また、別な説は、日本武尊*4がこの浜に宿をおとりになったとき、お食事をさし上げようとしたのですが、あいにく飲み水がありませんでした。
そこで、鹿の角を手に、水を求めて地面を掘ったのですが、その角が折れてしまいました。
そこから名づけられたというものです。
現在、鹿嶋市 (旧大野村)に角折という地名が残っており、東に太平洋を臨む「潮騒はまなす公園」のある地域にあたります。
- 参考資料
- 「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「風土記(一)全訳注 常陸国風土記」(秋本吉徳著)
「常陸国風土記」(財団法人常陽藝文センター)
「茨城の史跡と伝説」(茨城新聞社)